ミクスチャー企業として世界に発信できるイノベーションを起こす

Name: 伊藤 大己

Age: 

Company: a2network (Thailand) Co., Ltd.

Post: Managing Director

College: 法政大学

Language: 

ミクスチャー企業として世界に発信できるイノベーションを起こす

法政大学卒業後、カナダの旅行専門学校に留学。
カナダの旅行会社にて半年間勤務した後、日本の通信ベンチャーに就職。
その後、2011年に独立のためシンガポールへ移り会社設立、2013年からはa2network株式会社 取締役就任、同子会社のa2network (Thailand) Co., Ltd. ではManaging Directorに就任し、現在に至る。

–事業内容について教えてください

当社は2006年10月にドイツにおいて、世界初となる海外に住む日本人の方々を対象としたMVNOビジネスとして携帯サービス「ベリーモバイル」をスタートさせました。
ベリーモバイル・タイランドは2008年からスタートしています。
私が赴任した2013年当時はタイ国内の契約数は2,000回線程度でしたが、現在では6,000回線を超えるお客様にご利用いただき、現在も順調に契約数を伸ばしています。
最近は法人のお客様が特に増加傾向にあります。また、モバイルセキュリティやPocketWiFiレンタル事業などの付加価値サービスも相乗的に堅調な伸びを見せております。

 

–元々バックパッカーとして世界を周っていたとお伺いしました

大学時代は、勉強はまったくせずに、長期の休みの度になけなしの金でアジアを中心に旅をしていました。特に、カンボジアに行ったときにそこで見た景色に感動と衝撃を覚えました。また、そこで出会う現地の人との触れ合いであったり、日本人や外国の旅人との出会いが当時の多感だった自分の人格形成に大きな影響を与えてくれました。そして、この感覚をもっと多くの人に伝えたいと思うようになりました。

 

–大学卒業後、日本で働くことは考えましたか

新卒として働く気持ちはありませんでした。当時の日本の雇用環境は、就職氷河期の真っ只中で、終身雇用も実しやかに崩壊の危機が騒がれている中で、敷かれたレールに乗っかることに漠然とした不安を感じていました。会社に頼らなくても、どこでも生きていける武器を携えたいという想いが強く、カナダへの留学を決め、専門学校に通い、カナダで働く決心をしました。今思えば、自分に自信がなかったから虚勢を張って、日本での就職活動から逃げていたところもあると思います。

 

–留学後はカナダで就職されたのですか

はい、カナダの旅行会社に就職しました。しかし半年が経った頃、ウイルス性の感染症MERSが流行します。カナダ政府の意向で旅行業のビザは発給しないと突然通知が届き、日本に帰らざるを得なくなってしまいました。カナダでの約2年間は、自ら挑んだ道でしたが、実力主義と、容赦なく求められる高い英語力と交渉力を日々目の当たりにし、挫折の連続でした。当時の私には、ビジネス経験も実力も全く無かったので、当然、通用する訳も無く、何の成果も出せなかったもどかしい日々を覚えております。今から考えると、良いタイミングでの帰国だったと思います。
でも、このとき自分に何が足りないのか、何をすれば良いのかが具体的な目標と宿題として見えたのは大きな収穫でした。そして、いつかリベンジしようと心に誓っておりました。

 

–日本に帰国後はどういった企業に就職したのですか

帰国直後に、大学時代にお世話になったベンチャー企業の社長にご挨拶に行ったのですが、次の日からそこで働いておりました 笑
商材は国際電話などの通信サービス全般を提供しておりましたが、富裕層に特化したターゲティングとコンセプト・戦略がしっかりした会社で、まさに飛ぶ鳥落とす勢いでした。
当時は社員15名ほどの会社でして、少人数だったからこそ会社の全ての業務を横断的に経験することができ、カナダでの「宿題」を完遂するには最高の環境だと思い、働くことを決めました。
しかし、私が入社して間もなく、実務を統括していた重役の方が突然辞任され、心の準備をする暇も無く、急に容赦なく大きな職責を与えられました。右も左もわからない状況で、走りながら、勉強しながら、通常業務もこなしながら、一番肝となる20万人超の顧客に対しての計算・課金業務という重要任務を引き継ぎのない状態で任せられ、本当に寝る時間も無く、死にもの狂いで働きました。この業務が滞ると、代金回収が不能となりビジネスに穴を空けることになりますし、計算を間違えるとお客様に迷惑をかけてしまいます。しかし、分からないことがあっても聞く人がいない状況だったので、他社の人に聞いたり、本で調べたり、時にはお客様に聞いたりして何とか打開しようと日々もがいておりました。
結局は、いろいろと周りの皆様にも、お客様にも沢山の迷惑をかけてしまいましたが、
何とかビジネスには穴を空けずに(胃潰瘍になって胃に穴は空きましたが 笑)乗り越えられたのは、社長が辛抱強く任せてくれたからだと今では感謝しております。そして、ここでの圧倒的な仕事の経験が今の自分を作っていると思います。

 

–ハードワークの中、働き続けられたのはなぜでしょう

30歳で独立することを目標としていたからです。
カナダでのリベンジを誓い、30歳のなりたい自分から逆算して、毎年テーマを決めて、20代はそれに向かって突き進み、がむしゃらに働きました。
また、会社に所属しているからこそできることとして、独自指標でのシミュレーションも行っておりました。例えば、DMひとつでも、費用対効果について自分なりに様々な角度で検証してみたり、サービス開発の稼動対効果やシナジー創出の実現性検証など独自目線で、自発的に検証を行っておりました。通常業務だけでも忙殺される毎日でしたが、自分が独立したときのことを考えると、夜中までかかってもこういう検証をすることが、自分の将来にも繋がりますし、お金もらってトライアンドエラーをさせてもらっていると思えば、全く苦ではありませんでした。また、そういう経営目線に近い形で会社にフィードバックをしていたところが、自分の評価に繋がったところも少なからずあったかとは思います。

 

–独立に不安はありませんでしたか

不安がなかったといえば嘘になります。
会社に所属していれば、もし失敗してもある程度は会社がカバーしてくれます。しかし独立すると一回のエラーが致命傷になることもあります。
ですので、私は会社員のときにできるだけ多くのトライを実行しました。その中で、うまくいくビジネス、うまくいかないビジネスの経験を少しは養えたと思っております。

 

–留学されたカナダでのビジネス展開は考えていなかったのでしょうか

最初はカナダでの借りはカナダでと思っており、一度はカナダに渡りました。ですが、その想いは慣れ親しんだカナダに住みたいという自己肯定が強いことに気付きました。マーケットや経済状況などを考慮せず、盲目的に自分に言い聞かせていた部分があったんだと思います。もう少し世界を俯瞰してみる必要があると感じ、その後、もうひとつの親しみの深いエリア・アジアを訪れました。今までは旅としての側面でしか見てなかったアジアは、ビジネスという側面でも躍動感あふれる魅力的な成長市場で、30代でのビジネスの主戦場はアジアに決めました。

 

–その後、なぜ通信業でのビジネスをやられたのでしょうか

自分の次の世代に対して、海外にもっと出て欲しいという想いから、最初は旅行業を通して感動を伝えていくことを目指していましたが、自分がバックパッカーをしたときの経験から通信ビジネスは重要だということに気づいていました。
海外で通信手段がないときの不安感はとても言葉では言い表せません。
通信面が整っているだけで海外生活のハードルはぐっと下がります。それだけで幸福感を増長させることができるのです。
そんなことを考えている時、前職の取引先だったa2networkと言う会社が「海外」×「モバイル」というキーワードで面白いことをやっていたことは知っており、この会社がシンガポール事業を立ち上げるということで、期限付きで私も参画しました。
その間に、シンガポールで自分の会社を立ち上げて私も別事業を開始しましたが、次のフェーズに向かおうという時に、同じことを目指すなら一緒にやろう、とa2networkの代表門田とも意気投合して、2013年からはa2network社に資本参加し、役員として本格参画することになりました。今は、同社アジア子会社の経営および事業推進を分掌しております。全てはご縁が繋いでくれた賜物です。

 

–経営をしていてどのようなときに苦しさを感じますか

スタッフが辞めるときが一番悲しいですね。
弊社の離職率はかなり低いほうですが、それでも辞めていくスタッフはいます。結婚などで、本来ならば快く送り出さなければならないことが分かっている時でも、社員が退職する時にはやはり心が痛みますね。
逆にいえば、私の幸せはスタッフ全員が弊社で楽しく、やりがいを感じて働いてくれていると感じるときです。みんなのベクトルが同じ方向を向いていれば、総和で力強い組織を作ることができます。私の仕事はそのベクトルを合わせることだと思っており、自身が目立つチームではなく、スタッフが活躍できる環境を整えていきたいと思っています。幸い、弊社の今のメンバーは最高のスタッフとマネージャーに恵まれており、チームワークと、個性・キャラクターは、どこの大手企業にも負けないと自負しております。

 

–今後のビジョンを教えてください

今は日本人のお客様に対して高付加価値のサービスを提供しています。この事業をもっと充実させます。具体的には、海外在住の日本人に対して、より公共性の高いサービス性を目指し、例えば危険情報配信などの分野における大使館との連携など図っていきたいと思っております。
その次にやりたいのは、世界に通用する通信プロダクトを作っていくことです。
日本人、タイ人などという垣根を越えたミクスチャー企業として世界に発信できる新しい価値を見出し、イノベーションを起していきたいです。

 

–伊藤社長自身が大切にしている仕事は何でしょうか

通信はどんな業界でも必ず必要とされています。多くの人と会えば会うほどビジネスチャンスに出会え、イノベーションの種を発見することができます。ですので、私は多くの人と会うことを大切にし、多くの出会いの機会を持つようにしています。通信とはまったく関係のない異業種の方とお話しした時にも、コラボレーション機会があったりするのも、このビジネスの面白いところだと思っております。

 

–問題に直面したとき、どのように対応していますか

日々難しい問題に直面しますが、そこでクヨクヨするのではなく「ありがとう」と感謝するように心がけています。困難は成長のチャンスです。また、困難やトラブルは逃げると追いかけてきます。自分から向かっていけば意外と大事にはなりません。

 

–最後に一言お願いします

弊社は人間でいえば、まだまだ小学生程度の段階です。この子が正しい道から逸れることのないように、日々幹部とともに方向性を決めていっています。長期的な目標よりも、まずは短期的な目標をしっかりと達成していくこと、お客様の声にしっかりと耳を傾けることを大切にしています。そして、社内コミュニケーション頻度も上げ、一致団結した組織を目指しております。トップの人間がリスペクトされることで良い組織が形成されると信じていますので、私もいつでも誰よりも楽しく仕事をするよう心掛けています。私が楽しんでいるからスタッフもついてきてくれるのだと思います。これからも関わる人の人生の濃度を引き上げていきたいですね。

Pocket
Bookmark this on Google Bookmarks